気仙沼の港

気仙沼で支援の仲立ちをしてくれていた方が、気仙沼をぐるりと案内してくれた。

実際にこの目で見るのは衝撃だ。

町へと走りだしたときは「ああ、けっこう片付けられてる。お店も開いてるし」

と思ったけど、気仙沼は坂の多い港町。

坂道をだんだん降りてきて、家の中を覗き込むと

まだまだ津波の爪あとはがっちり残っている。

なにより悲惨なのが港だ。

気仙沼湾にはもれた重油から火が回り、湾一帯が火の海になった。

火は次々に飛び火して、4日間燃え続けたそうな。

さぞかし活気があったと思われる魚市場のあったところは、

一メートルも地盤沈下して海水に浸かっている。

元の道に引かれた白線が水の下で揺らぐのが見える。

海には真っ黒に焼け焦げた漁船が何隻も浮かんでいる。

流されて陸に上がっている大型漁船。

さかさまになっている小型船。

船と何台もの車がからみあったまま、色をなくしたおそろしい塊になっている。

盛り土をした道以外の湾内はがれき、がれき、がれきの山。

「重機が足りなくて、順番にやっているっちゅうことだけど」

二ヶ月を過ぎてこのありさまならば、当時の悲惨さはいかばかりだろう。

助かった人だって「もうやだ!もうやめた!」って

心も体もへなへなと崩れ落ちてしまったことだろう。

でも人は生きるのを やめるわけにいかない。

どんなにひどい状況でも、立ち上がって歩き出さないとならない。

「魚市場を六月には再開するって言ってるけど、まず無理だろうな」

六月からはカツオ漁の最盛期。

あせる気持ちは泣きたくなるほどよく分かる。

そして無理を押しても再開という心意気が希望の灯だ。

震災後、気仙沼で解雇された人は四千人。人口七万五千人の町で四千人。

ほんとに国が早いとこ動いて欲しい。

希望の灯を消さないで欲しい。

興奮して長々と書いてしまいましたが、ここでご報告。

直営店などでみなさんにご協力いただいた店頭での募金

支援グッズを売ったお金、社内での寄附金

合わせて250万円を、今日日本赤十字に寄附しました。

別途、オンラインを通しての寄附金は『難民を助ける会』に

寄附させていただきます。

詳しくはホームページでごらんください。

みなさん、ご協力、ほんとにありがとうございました!

少しでも復興の手助けになってくれればと思います。

あともうひとつ。

新宿ラビリンスは今年で五周年を迎えます。

五周年でずっと前に頼まれて五レンジャーを描いたけど、

なんか元気が出る絵になったでしょ。

その記念サイン会をあさって22日、なんと猫の日に開催。

どうぞお出かけください。

2 Responses to “気仙沼の港”

  1. RITSUKO より:

    こんばんは。初めまして。
    私は気仙沼出身、そして旧姓は鎌田です。私は今青森県にすんでおります。
    先日は軽トラやバイク、そして沢山の支援物資を本当にありがとうございます。
    皆さんのお気持ち、そして沢山の物資を故郷の気仙沼へ送って頂き本当に感謝の気持ちでいっぱいです。父によると毎日軽トラさんは活躍して、今日も近くのお店に頂いた物資を運び、必要な方々へお渡しして来たそうです。まだまだ復興へは遠い道のりだと思いますが一歩一歩踏み出して居ることは間違いありません。いつか元気になった東北!そして気仙沼へいらして下さい!サンマやフカヒレ以外にも美味しい食べ物が沢山あります。私達も、皆さんに援けて頂いた事を忘れず、前に進みたいと思います。わちふぃーるどの皆様、支援物資を送って下さった皆様に感謝申し上げます。

  2. mimichacha より:

    五レンジャーの絵とっても元気が出ます!!!!!
    可愛いです

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