いまでも、ときおり取り出して眺めてみる、特大のポスターがある。茶色い地の紙に、ほとんど墨一色で描いたような、猫の全身像。強烈な目つき。輪郭が背景に溶け込んでいるような、あくまでも暗い画面。猫の、獣の本性、凶々しい精神を具現したかのような、それは強烈なポスターだった。ただ、おかしなことに、この猫は立ち姿でいる……。
このポスターをもって池田さんが当時新宿にあったわが社を訪れたのが、1986年のことだった。いわゆる持ち込みである。
あとで聞いた話だが、池田さんは、わがほるぷ出版を児童書の大手ポプラ社とまちがえて訪ねてきたらしい。こちらも、オートバイに乗って、ばかでかいポスターを1枚もって訪ねてきた「絵本作家志望」の持ち込み者に戸惑いながら応対したことだった。そのときはもちろん、池田あきこという名前も、わちふぃーるどという店も知らなかった。一目見て魅了されながらも、ぼくが一番気にしたのは、当時(現在でも大ベストセラーだが)佐野洋子の『100万回生きたねこ』が自分のなかのひとつの理想像としてあって、その「ねこ」と、ここでダヤンと呼ばれている猫とが、あまりにも似ていはしないか、ということだった。
しばらく、ぼくのなかで、この「猫」のオリジナリティは何か、どういう条件ならこの「猫」の価値を活かすことができるか、といったことを反芻する日々が続いた。
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池田さんにいわせると、この「しばらく」があまりにも長すぎてシビレを切らしたのだったそうだが、ぼくとしては真剣だったのである。つまり、それだけダヤンの魅力に知らず知らず囚われていたのだろう。あのポスターを家に持ち帰り、時に取り出しては眺めていたのだったから。
そんな曲折を経て、ようやく第一作『ダヤンのおいしいゆめ』が刊行できたのは、1988年2月。この最初の作品を作る過程で、池田さんの脳裏に「わちふぃーるど」という架空の世界が茫漠と拡がっていることに気づいていった。それは手繰れば手繰るほど伸びていく紐のようなもので、驚くべきことに日々拡大していくのだった、つまり現在進行中の架空世界の構築なのである。それからもう来年でちょうど10年になる。この世界はなお拡張をやめない。新たな地域がふえ、新しい登場人物(?)が出現し……、このことは新鮮な驚きをいまもなおぼくに与えてくれるのだ。この間、大型絵本2冊、小型のコレクションブック10冊、実用性を加味したハンドメイドブック5冊、プレゼントブック1冊、画集2冊の計20冊を刊行できた。堂々たるシリーズであり、しかもなお現在進行中である。
こうして10年経って、いま、ぼくのなかに秘めている夢は、あのポスターのなかに篭められていた、ダヤンのヴァイタリティを生かした作品を作りたいということだ。
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